仏教に改宗する理由

宗教について議論する時、1つの宗教から別の宗教に改宗するにはどうしたらよいのかという疑問がしばしば生まれます。仏教は多くの人にとって信仰するべき選択肢の1つであり、それは特に他に信仰したい宗教がない場合に言えることでしょう。

しかしながら、改宗という重大な決断をくだす前に、仏教信仰には多大な献身および修業が必要で、複雑な教義に関して深く考える必要があることを覚えておいてください。

では、何から始めて、何をどう受け入れればよいのでしょうか?

考慮すべき要素

まず、改宗に関する考えそのものが議論に値しません。仏教のスピリチュアルな道は、改宗を促すものではなく、自身の運命の探求への第一歩なのです。

多くの場合、仏教徒は、ダライラマ、龍樹、道元、そしてイエスに見守られているように感じることがあるでしょう。また、改宗しようと思っている人はしばしばその宗教が最適なものであると考えています。自身の宗教の教義が正しいものであり、自身の信仰する神が正しく、他は間違っていると信じようとします。通常この種の矛盾を感じる人が仏教徒になります。

真の信仰は存在するのでしょうか?

世界中の多くの宗教は唯一神を信仰し、その真理を信じます。ところで、人間の知能は教義を完璧に理解し、確実な精度でその教義を伝えることができるレベルに達しているのでしょうか?多くの人が仏教に惹かれるのは、仏教には教義がなく、自身の信念を持ち続けられるという点にあります。

どの信念体系に関しても、それを完璧に理解することはかなり難しく、ほとんどの場合、その信念は誤って理解されてしまいます。真の教義について語る場合も、それは人々を正しい方向に導く指針に過ぎません。世界中の宗教の大半の主義には、真理のごく一部しか反映されておらず、それが象徴とみなされていることがあります。ジョーゼフ・キャンベルが述べているように、全ての宗教は真のものであり、その意味および信条を理解する必要があるというだけのことなのです。

超絶性とその探求

もう1つ、人々が誤って思い込んでいることとして、正しい思想や信念は1つの宗教のみにしかないという考え方があります。他方で、多くの偉人は、適切な振る舞いや儀式がその宗教を真のものにすると考えてきました。有名な歴史家であるカレン・アームストロングは、宗教とは、信念ではなく超絶性の探求であると述べています。

無論、超絶性は多様に概念化することができます。例えば、それは神との融和、もしくは涅槃に入ることかもしれませんし、あるいは神こそが涅槃の象徴であるかもしれませんし、その逆なのかもしれません。

仏陀は、涅槃の概念化は僧侶には不可能なことで、それを誰かが試そうものなら問題に直面するだろうと考えていました。私たちの知性や創造力では達することのできない領域があり、それは達したくないのではなく、達することが不可能なのです。

真の宗教を見つけるには

世界中の全ての宗教は、巧妙なものも拙劣なものもすべて含めて相当量の行いや教義を蓄積してきました。また、ある人にとって良い宗教は、別の人にとってはそうではない場合もあります。真の宗教とは、自身を1人の完全な人間へと導いてくれるものであるべきです。